思い出迷子は負けのはじまり

趣味はジャニーズです

戸塚祥太の「ドラマ」に思いを馳せる

好きなひと。恋人にしたいひと。結婚したいひと。応援したいひと。

人それぞれ多種多様の好きがあり、一人のひとに全ての好きが注がれる場合もあれば、それぞれの好きで想うひとが違う場合もある。




 A.B.Sea-Market をレンタルし、すぐさま家のPCにCDを入れる。と同時進行的に歌詞カードをめくった。一番最初に開いたページは戸塚さんのソロ曲だった。

あーこういう感じ!具体的に書かない感じ!!

これが私の「ドラマ」の歌詞に対する最初の感想だった。戸塚さんが作詞していることをどこかで知った私は本の虫である戸塚さんがどのような言葉を紡ぐのかとても気になっていた。
私はみっくんの作詞したFORMが大好きだった。みっくんの一人暮らしのリビングのソファまで容易に想像できるような、みっくん今まで何人の女この部屋に呼んだ?何人の女この部屋で幸せにした?って聞きたくなるような、そんな歌詞に我々が求める北山先輩像を思い起こさずにはいられない。
そういうFORMのような、5分足らずの時間に大人の魅力が凝縮された歌詞を想像していたから、戸塚さんの青臭い、抽象的でふわっとした歌詞に少々驚いた。そしてさらに彼の綴る文章を読みたい衝動に駆られてしまった。

 初めて戸塚さんのえびブロを読む。さすがは読書家として有名な戸塚先生。とにかく文章のテンポがいい。テンポがいいから長くても全く読むのが苦にならない。それどころかもっともっと読みたくなる文章。♩つまりは単純に〜面白い!そして時折出てくる伊坂幸太郎ワード。(例;気狂いピエロ、春、泉、、、)これは伊坂幸太郎ファンとしてはたまらなかった。アイドルと同じ趣味を持つという喜びは、私のこれまでの短いながらも濃いジャニオタ人生の中にはない喜びだった。

 そういった特別な想いを心に秘め、6月13日、私は大阪城ホールへと向かう。コンサートの感想を書くと長くなるので割愛させていただくが、とにかく幸せなコンサートだった。私がコンサートで最も楽しみにしていた時間は思っていたよりも早く来た。ギターをかき鳴らす戸塚さんは「空に向け 放してく 放してく 集めた瞬きを」の歌詞を「大阪へ 放してく 放してく…」に替えてくれた。

 コンサートが終わり、とても満たされた気持ちになった私は、また戸塚さんの文章が読みたくなり、えびブロのページを目ざす。するとこれまで全く気付かなかった文字が目に入る。

102Diary

なぜこれまで気付かなかった私…えびブロと並んで明記されているそのページになぜ気付かなかったんだよ…と、自分の視野の狭さに嫌気がさす反面、新たな戸塚さんの文章をインプットできる喜びが湧き上がる。102Diaryで見る戸塚さんの文章はえびブロとはまるで異なるものだった。タイトル通りそれはブログというよりかは日記であり(ブログと日記の定義の違いは分からないが)、観劇した舞台の座席の列、番号まで書く几帳面さ、というよりかは無機質ささえ感じる日記だった。その無機質な日記をずんずん読み進め、6月1日までたどり着く。
カキーン!スカーン!ドーン!擬音語は何でもいい。そこで私の頭の中で何か大きな音が鳴ったのだ。

ドラマは、あの歌はそういう歌だったのか

これまで意味など考えることを諦めていた(正しくは意味なんてあまりないと思っていた)歌が6月1日の日記を読むことによって、全く違うように聴こえた。歌詞だけでなく、戸塚さんが使う「ドラマ」という言葉の意味を考え、胸が熱くなった。

俺がステージ上でどうあるべきか?
何をするべきか?
俺が決めることではない。
みんなが決めてくれる俺が俺だ。

戸塚さんは言う。私はいわゆる戸塚担でもなければえびえびでもない。戸塚さんのことを何も知らない。だけど、この日記、この歌詞に、私は戸塚さんの、自分が授かった「ドラマ」に対する決意を感じたのだ。

とっつーかっこいい!
言葉にすると、とてもシンプルだ。しかしこの10文字にはうまく言葉にできない私の思いが込められている。
 







好きなひと。恋人にしたいひと。結婚したいひと。応援したいひと。

人それぞれ多種多様の好きがあって…
ってそんな言い訳じみたことなど聞きたくない。

耳馴染みのある声がどこからか聴こえる。そして私は無事にフライングゲットしたなにわともあれほんまにありがとう!のディスクを家のTVに入れるのだ。






グローブの中のリングとバンダナの下のピアス

幕が下り、思考が一時停止する。
また私は目の前で起きたことを自分の中で整理する。ただ今回は簡単だった。整理なんて要らなかった。隣に座るドヤちゃんと目を合わせつぶやく。

「え…?めっちゃ面白くない…?」





日生劇場、そこには理屈なしにただただ楽しいが広がる空間でした。こんなにも楽しいことある?嘘みたいに面白かってんけど。と、幕が下りた直後の数分間は私の中には楽しい面白いの感情のみ。
席を立ち、喫煙所に向かう中で少しずつ余裕が生まれ、ふつふつと他の感情が沸き上がる。喫煙所に着いた時にはそれらが爆発。もう大興奮っすよ。

劇中、最初はあきとくん淳太くん2人を中心に6人まんべんなく観ていたはずなんですよ。(台風nドリーマーは重岡氏不在)それが気付けば、1人の男の子を必死でオペラグラスで追いかけるようになっていました。





濵ちゃん。



だと思っていました最初彼のことを。すみません。私は顔と名前すら一致しない状態で日生劇場に足を運んだのです。





ジャニーズWESTの舞台行ってみいへん?チケット譲り出てるみたいやねん」

そう提案したのは私の方でした。もちろんドヤちゃん(DD)は二つ返事で承諾。土曜日のドリボ観劇以外に東京での予定を決めていなかったので、ちょうどいいなと思い提案しただけで、ジャニーズWESTが気になる……ということも全くもってありませんでした。
ここで帝国劇場、日生劇場をはしごするという素晴らしい遠征プランが成立します。(その後この素晴らしい劇場はしごプランは2度行えることとなる)


あきとくん…ごくせん、普通の子
淳太くん…ごくせん、先輩
しげ…真ん中のやたら笑顔の子
流星くん…地元が近い子
のんちゃん…三浦翔平に似てる子
濵ちゃん神ちゃん…その他二人

当時の私の7人の印象を思い出してみましたが。ひどい。ひどすぎる。その他二人って…よくもこんな状態で観劇したな自分…まだ少クラも見ていなかったですし、知ってる曲もええじゃないかぐらいで本当に無知でした。

そんな状態だった私ですが、ストーリーが進むにつれて、一人の男の子が気になりだします。とにかく表情が!豊かで!演技が!細かい!完全に入りきってるんですよね役に。一瞬一瞬がその役。役に隙間がない。そんな彼の演技にどんどん引き込まれていきます。

彼を好きになった理由は演技だけではありません。ショータイムの彼のビジュアルは、それはそれはもう私の好みそのものでした。金髪にあのバンダナは…もう反則でしょう。そんでもって右肩にタトゥーシールですよ。グッズとかでなくて、普通にお洒落でするタトゥーシール。かわいい……

決定的だったのがピアス。もともと私、男性のピアスが大好きなんですけど、劇中、ショータイムの最初は彼ピアスつけてなかったんですよ。それが!ショータイムの途中で!ピアスをつけてきたんですよ!!ショータイムの途中でですよ?!しかも両耳!!ぶらぶらするやつ!!右一つ左二つ!!!!!!!そんなことある?信じられる?まだね、まだ、劇とショータイムの間の休憩でつけるんやったら分かりますよ?それでも感心しますけどね?彼ショータイムの途中でつけてきましたからね?心の中で叫びましたよ
なんじゃこりゃー!!!!!!!って。






私とドヤちゃんの興奮はまだまだ冷めやりません。周りの喫煙者を気にもせず、各々の感想を思いつくまま吐き続けます。
「私、あの子が好き!!あの子なんて子?!」とドヤちゃんに聞く私。ドヤちゃんと私は顔の好みがほっとんど一緒なので(塩顔イケメン)ドヤちゃんは「たぶんそれ濵ちゃんやで!」と教えてくれました。
そこから名前と顔を一致させようとメンバーの名前を連呼する私。
どんどん口をついて出てくる感想の中、噛み合わない点に気付きます。





ん?その子ではないぞ?私の好きな子、その子ではない?


皆さんもう随分前からお気付きだとは思いますが、というか私を知っている人は分かっていることだと思いますが。





濵ちゃんやない!!!!!!!わてが好きなんは、神ちゃんやー!!!!!!!






これが私と神山くんとの出会い。

物理的に近く精神的に遠い

私「昨日のエイトの番組見た?」
友「エイトって関ジャニのこと?」
私「あ、うん!関ジャニ!」

(そうか…一般人は“エイト”とは呼ばず“関ジャニ”と呼ぶのか……)


とどんどん一般人との認識の乖離が大きくなっていきます。今では普通に使っているオタク用語ですが、最初はほんっと分かりませんでした。DD、魂、全ステ、強火、俺足族…(魂と俺足族は未だ使う機会ありませんが)Twitter見てても分からないのでGoogle先生に聞きましたからね。

Kis-My-Journyの振込の時にはまだ“オーラス”という言葉すら知らなかった私。そんな私におじょうは、オーラスの意味、オーラスの倍率の高さ等優しく教えてくれました。おっと、おじょうの紹介がまだでしたね。おじょう(漢字で書くとお嬢)もまたどやちゃんと同じく高校の同級生であり、しかも私とは同じ部活の仲間です。おじょうというあだ名はクラブネーム(クラブ内でのあだ名)でして、当時からハイフンだったおじょうはクラブネームを決める際、先輩からの「好きなものは?」の質問に「亀梨くん!」と答え、10年前、亀梨くん=ごくせん→お嬢となった訳であります。(ほんと何故どやちゃんとおじょうは10年前私に少クラを見せてくれなかったか…)
優しいおじょうはジャニオタ一年生のどうしようもない質問にたくさん答えてくれました。


「なぁなぁ、フォロワーさんがお手紙書くって言ってくれてんねんけど、お手紙ってなに?なに書けばいいの?」


こんなことまで私に聞かれるおじょう。


「なぁなぁ、なんでみんなお菓子配るん?お菓子ぐらい自分で買えるやん?」


いやそういう問題ではない。ほんまおじょうごめん。今ならお手紙もお菓子もめちゃくちゃ嬉しいって知ってるんですけど、最初はジャニオタ文化が理解できませんでした。







「なにもかも引き受けてやろうじゃねえか!」

そうユウタは力強く叫び、私たちの前から姿を消しました。

劇場内が明るくなり、ざわざわする観客。1階前列に向けられる視線。サッと立ち去るSexy Zone。(聡マリちゃんがこそこそ笑顔で話しながら扉に向かう姿を見てここは天国かなと錯覚)

さっきまでステージ上で起きていたこと、ステージ上だけじゃない、目の前の宙で起きていたこと、それらを自分の中で消化させるために私は必死になって頭を回転させます。でもどうしても出来ないんですよ分からないんですよ玉森くん美しすぎるしストーリー展開早すぎるしで全然追いつかない。ユウタよ…DREAM BOYSが私の中にストンと落ちるように何とかしてくれよ…何もかも引き受けてくれんだろ…そんな勝手なことを一人思いながら第二幕の幕が上がります。

私にとって初めてのDREAM BOYSが終わり、私の中で一つの“もしかして”が生まれます。もしかして…もしかしてこれはストーリーどうこうの問題ではないのでは…?宙を飛び、回り、壁を歩き、歌い踊る、魅せるもの、それがDREAM BOYS?それがジャニーズエンターテイメント…?
DREAM BOYS、ジャニーズ舞台を一度たりとも観たことがなかった私。ドリボ観劇が決まった時、優しいおじょうは「ドリボのDVD貸してあげよかなと思ってんけど、前のは観ないでユウタから知るのもアリやね」と言ってくれました。私はさらにDREAM BOYSのストーリー等もわざと見ず当日を迎えました。ストーリーぐらい入れておけばよかった。そうすればこんなにも頭上に“?”浮かべずに済んだ。心臓を?あげるの?……これがジャニーズの舞台なのか。と少しだけ胸のここらへんにフワッとした違和感が生まれます。まぁそれはそれで“今は”置いといて。
玉森くん1分1秒全てのお顔がかわいいんですよね。天使も妖精も王子様も未だ見たことはありませんが、たぶんこんな感じなんだろうな、って。私この前のブログで、ドームで見た玉森くんは同い年のお仕事する男の子でしたって書いたんですよ。でも劇場で見る玉森くんはとてもじゃないですけど、同じ時代に生を享けた24歳男性には思えなくて……ねぇ、玉森くんもおジャ魔女どれみ見てた?ポケモン赤青緑して中学生の時オレンジレンジ聴いてた?175RとかHYとか流行ってた?MDウォークマンカシャって開けてカシャって閉じるの快感じゃなかった?(すみません話がそれました)

DREAM BOYSというジャニーズの先輩方がずっと魅せてきた舞台を引き受けた座長玉森裕太は、遠い遠い夜空に一つ輝くお星さまのようで……もしかしたらアイドルというものは物理的距離が近くなればなるほど精神的距離は遠くなるのかもしれない。



初DREAM BOYSの余韻は翌日になってももちろん冷めることはなく、そんな状態のまま、私は日生劇場へと足を運びます。そう、そこで私は台風に襲われてしまうのです。

みんなのOnly One

“恋”という字は“変”という字に似ている。

 随分昔のドラマで主人公の女の子が言っていた台詞だが、そのドラマのストーリー、キャスト等全く覚えていないのにこの台詞だけはずっと頭に残っている。確かそのあと、「人は恋をすると変になるらしい」と台詞は続く。


 恋をした訳でもない私ですが、とてつもなく遠くてほんの少しだけ近い彼らに大きく変えられてしまいました。読みかけの文庫本は毎月出るアイドル雑誌に、聴いていた音楽はオリコン1位に輝く曲に、観ていた映画は初回盤に付くDVDに変わりました。


 今でも 実家暮らしで、しかも家にいる大半の時間をリビングで過ごす私の変化に、家族は早い段階で気付いていたと思います。(リビングのテレビでスノド観てたらそりゃ気付くわな) ただ、一緒に住んでいない姉だけは違いました。久しぶりに実家に帰ってきた姉は、私宛てに届いたKis-My-Ft2の会報を目にし、妹が突如としてジャニオタになったことを知ります。そこで一言。


  「え、大丈夫?疲れてる?このままホストとかにハマれへん?」
 
 お姉ちゃん。心配してくれて有難う。でも大丈夫。妹はホストクラブにはハマらず、すくすくとジャニオタ(しかもDD)へ成長していってるよ。 


 私がKis-My-Ft2を好きになって、初めて出たシングルは「光のシグナル」でした。今日のキスラジでいよいよ聴ける…!あんなにもドキドキソワソワワクワクしてラジオを聴いたのは後にも先にもあの日だけだと言えるぐらい。それぐらいに高揚していました。ドラえもん観るの何年ぶりだよっていう。え!歌番組の衣装ドラえもんじゃないやん?!かっこいいやん!!って思ったの私だけ?ニューシングルがこんなにも嬉しくドキドキするものだなんて。24歳にして初めて知りました。それが2014年3月。


 そしてここで私にとって外すことができないお話がSoundRoom。それはそれはもう数え切れないぐらい沢山あるだろうハートフルでピースフルな宮玉エピソード。(たまにハートフルピースフル通り越して怖いぐらいな時あるけど)多くの玉森くんファンがとしくんへ菓子折りを送りたいはず。「いつも玉森くんと仲良くしてくれて有難う」と。私が知っている中で私はこの宮玉がすごく好きで、とても印象的です。
 スノドShake It Upで観た、前から手を挙げて歩いてくるとしくんを無視する玉森くん。からのSound Room
「やっぱ好きだからぁ」

…♡
 シンメに萌えることを知り、アイドルグループを好きになるって、こういう興奮もあるのですね…と震え、ジャニオタって楽しい……と、どんどん沼に沈んで行きました。


 すぐにHIT!HIT!HIT!が出て、そこから焦らして焦らして4ヶ月後に!ついに!Kis-My-Journy!!!歓喜の一言でした。「FC入ってみよかな〜コンサートとか行ってみたいし」っていう24歳が初めてアイドルのFCに入る言い訳にしてたコンサート。ジャニオタといえばトートバッグから何本も団扇の柄を出して電車に乗ってるっていうイメージがあったので、ついに私もそれができる…!ってジャニオタになる前は柄出してる子たちを冷ややかな目で見てたことなんてすっかり忘れて浮かれてました。
 結局私は名古屋と京セラ合わせて4回ジャーニーしました。初めてのKis-My-Ft2初めての遠征。前日楽しみと緊張とで眠れませんでした。遠足前日の小学生か!というツッコミは不要です。絶対そんな学校行事で浮かれる小学生より眠れてないからな!初めて生で観る玉森くんは、ウルトラスーパーミラクルかわいいお顔と想像以上に大きい身体とがアンバランスで、目の前が暗くなりそうでした。それまでテレビの画面でしか観たことがなかった玉森くんが現在まさにそこに存在している…息吸って吐いて踊って歌って仕事をしている……ってことに心が震えて、玉森くんも同い年の男の子なんだ…天使なんかじゃないんだ……ってしみじみ感動を噛み締めました。Only Oneでパジャマの帽子取って羽根舞う中ジャケットに袖を通し、宙を飛ぶ玉森くん観て、あれ、やっぱり天使なのかもしれないと頭を抱えましたが。


「寺西ちゃん!あの右にいる茶髪なのが寺西ちゃん!」
とドヤちゃんは教えてくれました。京セラを一緒にジャーニーしてくれたドヤちゃんは高校の同級生。(その後私は様々な現場にドヤちゃんと一緒に入ります)生粋のDDであるドヤちゃんは、オープニングで寺西ちゃんの存在を教えてくれましたが、当時の私はジュニアに関しては無知であり、もう7人でいっぱいいっぱいであったため、そんな後ろまで観ている余裕はありませんでした。がしかし、今では寺西ちゃんのダンスの綺麗さ故にあの門番ポジション(画面右上ぐらいの見切れにいてすんごい視界に入ってくる)なんだよなって思えるぐらいにはDDに成長することができました。



 その後9月のドリボのチケットが私とドヤちゃん両方の元に届きます。2ドリボモリちゃん〜♡と浮かれる私たち。ただ、その時の私はまだ知りませんでした。ジャニーがやりたいこと、ジャニーズの真髄は、舞台にあるのだと。そしてさらにその舞台は、私の想像を遥かに超えたトンチキミュージカルであることを……

勝ち組の敗因

 堕ちたら一瞬でしたね。最初はネットで動画を漁りTwitterでワード検索するだけでした。まぁ気付いたらFCに入ってジャニオタのアカウント作ってましたけど☆

 アイドル誌なんて自分には一生無関係だと思ってたんですよ。初めてアイドル誌を購入した時、今まで何度も利用してた本屋さんだったのに、その時初めてポイントカードの作成を勧められましたからね。あっ、私、ジャニオタなんだ♡って、その時改めて実感しましたよ。

 勝ち組なのか負け組なのか、まぁそんなことは置いといて、社会人2年目の私は、新しい出会い等なくトキメキを欲していたんだと思います。そんなカラカラな私に突如と現れたキスブサという名のオアシス。これが私がジャニオタになった一番の敗因だと思います。


「いや、アイドルは応援するものだから。」

 AKBオタの友達に「好きな女の子のタイプってやっぱり推してる子?」と馬鹿な質問をした時の友達の答えです。そのあまりにも当たり前な答えに、正直ハッとさせられました。


 2014年ジャニオタ1年生の私は、キスマイジャーニー、ドリームボーイズ、台風nドリーマーと幸せなことに現場が続きます。これらの現場を経験した私に、早くも大きな心境の変化が生じます。スノドDVDを購入した時見てもなかったジュニアたち。今では名前まで言えるようになりました。次では、そんな私のジャニオタとしての成長も記せたらと思っています。


 ここまで読んでくださって本当に有難うございます!!!!!!!

おわりのはじまり

 ほら、よくあるじゃないですか、少女漫画とかで。雷に撃たれたような衝撃?みたいな。

 ハチクロで、竹本くんが絵を描くはぐちゃんの姿を見て恋に落ちた瞬間、隣にいた真山はこう言っています。「人が恋に落ちた瞬間を初めて見た」と。もしその時私の横に真山がいたとしたら、テレビに釘付けになる私を見て、同じことを言ったんじゃないかと思う。


 「いつの間にかぁ」とか「なんとなくぅ」とかそんな彼氏が途絶えない女子が言いそうな生温いものではありませんでした。
 2013年11月下旬。私は名古屋のビジネスホテルにいました。私がお風呂から出ると、一緒に宿泊していた人はもう寝ていて、私は一人テレビを見ながらタオルドライをしていました。そしたら突然始まったんですよあの番組が。噂には聞いてましたよ、関西では放送していないキスマイの面白い番組があるって。「あ!これか!ラッキー!」その時はそんな軽い気持ちでした。まさかその後、こんなことになるなんて思ってもみなかったんです……

 少し時を遡って、私が玉森くんを認識した時分のお話をします。そうです。私のジャニオタストーリーはKis-My-Ft2玉森裕太くんから始まります。
 ジャニーズに関して、エイトの名前は全員言えるけど、JUMPの名前は半分ぐらいしか言えない、その程度の知識と興味しかなかった私が玉森くんとはじめましてしたのは、ドラマ「美男ですね」でした。当時韓流にハマっていた母の影響で韓国版を観ていたので、日本版をやると知り喜んだのを覚えています。もともとイケメン俳優大好きなミーハー(母ゆずり)なので、回を重ねる度に、廉さんかっこいい……と気になるようになったのですが、周りの友人からは「廉さんかっこよくない!グンちゃんの方がいい!」という声がわりと多く、私はその当時廉さんへの思いを声を大にして言うことはできませんでした。(玉森くんごめんよ)
 ドラマは最終回を迎え、その後玉森くんのことはすっかり忘れていました。再会したのは2012年初夏の1ヶ月1万円生活。そう、玉ねぎ玉ちゃんです。あ!美男ですねの子だ!偶然の再会に喜んだのも束の間、玉ねぎ玉ちゃんの天然さゆるさがもうかわいくてかわいくて仕方ありませんでした。私、それまでアイドルって完璧に爽やかなものだと思ってたんですよね。キラキラ笑顔振りまいて、今まで悪いもの汚いもの見ずにかわいいかわいい言われてまっすぐに育ってきましたっ☆みたいな。(ひがみっぽくてすみません)そんな風に思っていたジャニーズアイドルがですよ、すんごい寝癖つけてすんごい眠そうに目をこすってこの世の終わりかよってほどの絶望感漂わせた朝を過ごしているわけですよ!カ!ワ!イ!イ!あと、薄力粉を「うすりきこ」って読んじゃったり、何度も何度も麺作りに失敗してイライラしちゃったりするのも意外で。アイドルのアイドルっぽくない素の部分見せられたから、カワイイって思えたんだろうなぁと。(当時はここまで深く考えていませんでしたけど)そこから私の中での好きな男性芸能人ランキングに、見事に玉森くんがランクインするようになりした。(ちなみに当時は①綾野ごーたん②向井おさみん③岡田まーくん④玉ねぎ玉ちゃんの順でした)
 その次に再会したのはドラマ「ぴんとこな」。玉ねぎ玉ちゃんが主演!観なければ!程度でしたね確か。あやめが居候する時の恭之介さんのかわいさと言ったらありませんでした。(余談ですが、ジェッさんホクホク北斗ちゃんについて、ジャニオタになってからジュニアだと知り、ぴんとこなの記憶と一致した気持ちよさハンパなかったっす)これが2013年夏。

 そしてやっと遡り終わりまして2013年11月下旬。私の人生を大きく?小さく?変えてくれたキスマイBUSAIKUその日のテーマは「彼女との玄関での1分間」はいどーーーん。そら雷落ちるわーーーい。今でも私の中で一番の神回です。玉森くんに「ん」と両手を広げられ、私はマイコと共に玉森くんの腕の中に飛び込んでいったのでした……お財布を小脇に抱えて……

はじめまして

 大人になってからジャニーズアイドルという夢と現の狭間のような彼らと出会い、現在進行形で底の見えぬ沼にずぼずぼと沈んでいってるジャニオタ2年生です。今までの人生で通ってこなかった道に戸惑いながらも、ものすごい勢いで沼に沈んでいく様を綴っていきたいと思っております。まずは、社会人2年目24歳で突如としてジャニオタになった経緯から始めたいと思っておりますので、読んでいただけたら幸いです。